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掃海型について

菊月・三日月・夕月・望月

 睦月型の最後期の4艦(菊月・三日月・夕月・望月)は、その後甲板の装備から掃海型と称されることがあるが、正式なものではない(正しくは「菊月型」)。大型の掃海具と6基の爆雷投下台を持ち、爆雷投射機の配置も異なっている。また、艦尾の軌条がない。 睦月型は爆雷・機雷軌条を配するに艦尾に張り出しを儲けているが、掃海型はこの張り出しが無い。写真を見ると軌条のある艦は、この張り出しが突き出てていて識別ポイントになっている。

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 駆逐艦の艦尾にある軌条は爆雷投下を目的としたもの、という捉えられ方をすることが多いが、本来は機雷敷設との兼用で、爆雷の運用だけでは理解できない部分がある。ことに睦月型以前の駆逐艦では一号機雷(連結機雷)の存在が大きな意味を持っていて、睦月型の軌条が長いのはおそらく連結機雷が理由ではないか。この駆逐艦と機雷の関係については詳しい資料がなく、よく分からない点も多い。

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 艦橋編で掃海型は下部艦橋が異なると書いたが、艦橋周辺で言えば前檣もやはり異なっている。性能改善後の掃海型は前檣がやや短いのである。戦時中のものも含めて改善工事後の写真をあれこれ比べてみるのだけれど、通常の睦月型は前檣の長さが変わっていないのに対して、掃海型の前檣は明らかに短縮されている。重量軽減のためマストを低くすることは分かるのだが、なぜ掃海型だけなのか?ちょっと理由が思いつかない。

 毎日新聞の「不許可写真1」には艦名不詳の睦月型の写真が4点載っている。昭和12〜13年の上海事変頃と考えられる写真で、写っているのは23駆の掃海型だ。上左はその中の1枚の艦橋付近で、烹炊所煙突の形状と伝声管が艦橋正面から出ていることなどから考えるに、おそらく「三日月」だろう。

 この写真を性能改善後の「如月」の写真(上右)と比べてみる。前檣の長さが違うのがおわかりいただけるだろうか。

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 同書のこの写真(左)は砲脇の支柱の上部に穴があることから「菊月」かな?と思うのだけど自信がない。この辺りのパターンにはバリエーションがあって、艦によって異なったりするのだが、時期的に変動があって確たる識別ポイントには成り難い。昭和13年頃の「菊月」(中)は穴が空いているが、残骸写真(右)では塞がれていたりする。他艦も同様で、改善工事前後で変化している例が確認できる。正解は無いに等しく、どのように作っても間違いとは言えない。

ラバウルにおける睦月型について

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 丸スペシャルNo.51「日本の駆逐艦Ⅱ」の最初のページに「ラバウル港に停泊中の睦月型駆逐艦」という写真がある。裏表紙にもなっているこの写真は、あまり鮮明とは言えないのだが、戦時中の睦月型として貴重な一枚だ。解説では18年春頃の撮影となっている。上の方で識別ポイントにあげた艦尾の様子をみると、軌条にともなう張り出しが無い。これは掃海型だ。舷側の中央には文字が描かれているように見えるがキャプションでは触れていない。これは一体何なのか?ということについて考えてみたい。

 問題の文字は、ひらがなの「ろ」のようにも見える。駆逐艦に描かれた文字記号というと、開戦初期に使用された艦船番号記号がある。しかし昭和18年にもなって、既に廃止された文字記号を使用するというのも腑に落ちない。しかも煙突には何も描かずに舷側に描いている。こういう指示が出ていたという文書も見当たらない。同じような記号を描いている写真もない。

 これは一体何だろう? しばらく考えていたのだけど、実はこんな写真がある。

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上は引き揚げ作業中の「菊月」。舷側の文字は『キヅクキ』の『ク』が上塗りが剥げて露出したものだが、丸スペの写真に写っているのはこれではないだろうか。位置的にもスキッドビーム付近で同一だ。。すなわちラバウルの睦月型は「菊月」で、文字は「ろ」ではなく「ク」だということだ。そうすると今度は「18年」という日付が問題になる。「菊月」は17年に戦没している。さらに写真の艦は艦橋前に銃座を設けているように見えるが、「菊月」は機銃を増備していない。

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 「日本の駆逐艦Ⅱ」の一つ前の号、No.50は「掃海艇・輸送艦」だ。この表紙とNo.51の裏表紙を二つ並べてみる。これ、同じ船から撮影されたものではないか?どちらもラバウルだし。

 掃海艇の写真のキャプションには日付が書いていないが、解説通り20号か21号だとすると、ラバウル入港は17年の前半だ。掃海艇の艦首には欺瞞波が描かれているが、これは17年頃にみられたもので、時期的にも符合する。

 睦月型の写真の艦橋前の銃座もはっきりしたものではなく、横の張り出しや伝声管などが重なってそれらしく見えているのではないか。

ということで、この写真は17年春頃の「菊月」の写真で、舷側の文字は艦船番号記号では無かろう、というのが私の考えだ。同じようにひらがなを描いた艦の写真か、18年に舷側に文字記号を描かせたという文書でも出てくれば、あっさり降参しますけど。

望月型について 夕月・望月

 睦月型の最後期にあたる夕月と望月については資料が乏しく、よくわからない部分が多い。燕雀さんが言うように中央構造物の左右にある吸気筒は他とは異なっているのだが、不明な部分が多く、中央構造物編ではイラストを起こすのを見送った。問題の吸気筒は、側面図だけではちょっと形状がわかりづらい。そこで今回大まかな立体にしてみたが、この部分は側面のディテールなどが不明で、このイラストも、まぁ大体こんな感じかな、ぐらいに考えていただければと思う。下敷きにしたのは「夕月」の諸甲板平面図だが、写真から受ける印象は平面図に描かれたラインよりももっと角ばっていて、イラストもその辺を加味したものになっている。

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 缶室吸気筒は二番砲の砲座下にもあって、望月型は中央部同様、後方に開いた形状になっている。この部分は吸気筒だけではなく、士官室烹炊室の位置など、一番変化の大きい場所でもある。(以前、士官室烹炊室は望月型だけ、というようなことを書いたが、それは間違いで他の睦月型にもあります。すいません)詳しくは図を参照していただきたいのだが、望月型とそれ以前とでは構造の形状が全く異なっている。

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水無月型(三日月)

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望月型(夕月)

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 砲座下の構造は形状が異なるが、砲位置や基本構造の全長は同じだ。望月型の砲座へ上るラッタルの位置がよくわからない

 望月型は烹炊室が前方に移ったことで二番煙突の前に大きなスペースができているのだが、ここにナゾがある。夕月にしても望月にしても、ここに小さな煙突が立っていて、何か構造物があるように見えるのだ。これは一体何だろう?他の睦月型には該当するようなものがなく、ちょっと思いつかない。

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 睦月型は竣工時と改善後で、内火艇(通船)と魚雷積み込みダビットの位置が異なり、前後逆になっている。すなわち竣工時は軌条のカーブの所に内火艇(通船)があったのだが、実はこれはレイアウト上の欠陥であった。ボートダビットが邪魔して魚雷がうまく通らないことがあったらしい。それで用兵側からダビット位置交換の要望が出されたのだが、予算がないという理由で却下された、という記録が残っている。変更は改善工事まで待たねばならなかったのだ。

 ところが望月型は竣工時からこの位置が変更されていて、内火艇(通船)が中央構造物の横になっている。つまりこの2艦に関しては建造時に運用実績からのフィードバック、設計の見直しがあったことをうかがわせているのである。

 ついでに言っておくと、艦橋のフライングデッキ平面も異なっていて、無線電話室のところのクビレが無くなっていたりする。子細に見ていけば他にも色々変わっているのかもしれないが、残念ながら資料がない。

睦月型の基本計画番号について

 睦月型の基本計画番号にはF41E~Gの3種類があることが知られているが、その分類には諸説がある。「日本海軍小艦艇ビジュアルガイド駆逐艦編」では水無月から菊月まで(三日月は不明)をF41Fとしている。しかしながら「日本駆逐艦史(新版)」では同じく水無月以降をF41Fとしているものの、文月はF41Eに入れている。両者が拠って立つところがわからないので、どちらが正しいのか判断することはできないが、文月に関してはF41E、F41Fどちらの可能性もあるのではないかと思う。艦橋編で見たように文月の射撃システム(上部艦橋)は旧いタイプで、一方、艦首断面や中央構造物などは新しい形状になっている。すなわち新旧両方の要素が混在しているのである。私が以前、文月と水無月のあたりに境界のようなものがあると、ぼかした言い方をしたのはそのような理由によるものだ。

 そもそも基本計画番号自体よく分からないところがあって、これは船殻(船体)で類別されるもので、武装や艤装は関係がないと言う説もある。確かに特型以降についてはその通りかもしれないが、F41系列についてはそれでは説明できないのではないかとも思う。色々言われているものの、結局F41FのFたる所以、GのGたる所以は明らかになっていないのが実情だ。まぁ、あの膨大な資料を持つ遠藤昭さんをして「F41の各型は再調査必要」(V.S.B No.10)と言わしめているくらいであるから、素人の私なんかにはとても解明できそうもない。前にも述べたけど、私は研究者じゃなくて単なる物好きでしかないから、この件については深く追求しない。何を言っても裏付けのないことは、個人の憶測でしかない。そういうことで、このサイトでは基本計画番号については触れないでおこうかな、と思ってます。悪しからず。

睦月型 掃海型について 参考資料

原書房:「昭和造船史別冊(日本海軍艦艇図面集)」 光人社:「図解・日本の駆逐艦」 「写真日本の軍艦 別巻2」 潮書房:丸スペシャルNo.50「掃海艇・輸送艦」 No.51「日本の駆逐艦Ⅱ」 学研:51「真実の艦艇史2」、64「睦月型駆逐艦」 海人社:「日本駆逐艦史」 他

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