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銃座について

13ミリ連装機銃銃座

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 睦月型は開戦前に13ミリ連装機銃を装備したことがわかっていて、探照灯後方に機銃が確認できる写真も存在するのだが、その銃座の形状については不明点が多い。古い資料だと塔状の上に銃座があるような図が描かれていたりする。しかし、これはどうも正しくないようだ。

 この銃座が書き込まれた図は2種類あって、一つは「水無月」もう一つは「三日月」の図で、困ったことに同じ13ミリ連装の銃座なのに形状が全く異なっている。

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 三日月の図は中央部に支柱が立つ形だが、支柱の基部が上甲板の天窓群と干渉していることなど、その形状にはいささか疑問を覚える。実際、写真を見ると、「三日月」の図のような中央に支柱をもつ、あるいは探照灯と機銃がこれほど接近している例というのは確認できないのである。

 では「水無月」が正しいのかというと、さらに困ったことに、この形状も写真とは異なっているのだ。

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 どういうことなのか実際に見ながら解説してみよう。 左は「菊月」の銃座を横から撮ったもの。「水無月」の図にあるように、内に傾いた橋桁のような形状が左右から支える構造になっている。しかし、中央構造物から続く回廊のようなものは無く、銃座部分は完全に独立している。最初は破損によって回廊部分が喪失したのか?と思っていたのだが、どうもそうではなく、最初から無かったようなのだ。

 

 菊月の残骸を後方から撮った写真を見ると、中央構造物の後面には手すりがあって、探照灯より後方には進入できないようになっている。銃座へと続く回廊が存在したならば、こういう構造にはならない。さらに菊月の銃座は中央構造の上面よりも一段低くなっていて、水無月の図のような探照灯から一直線に繋がる位置には無いのである。

 

 これらを踏まえて図にして見たのが下で、おそらく開戦時の睦月型の13ミリ連装機銃の銃座はこのような形状であったのではないかと思う。

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長月の銃座付近。中央構造物後面の様子から回廊部分が無いことがわかる。また銃座は一段低くなっている。右は上空からの写真。銃座の矩形部分に設置された弾薬箱が見える。

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睦月の中央部を図を元に簡単な3Dモデルを作成して、実際の写真と比較してみる。睦月の写真は昭和16年の迷彩塗装のもの。両者の各部の高さや位置関係はほぼ同一になる。このことから睦月の銃座も菊月や長月と同じ形状ではなかったかと考えられる。(左右の支柱はもう少し傾斜がきついのか?)

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 ここで誤解のないよう申し上げておくが、水無月の図の設定は昭和19年時で、これらの写真よりも後のものだ。機銃が増備された状態であって、それに伴い銃座にも改造が加えられていた可能性がある。したがって、水無月の図が間違っているということではない。これは推定でしかないが、水無月は従来の銃座の上に新しい構造を積み上げている?のではないかと思う。

 13ミリ機銃の銃座に関しては、本来キットレビューの中で取り上げようかと思っていたのだが、まとめて見ると案外量があって、仕方なく単独のページにした。この部分については決定的な証拠(写真)が無く、不明点も多い。ことに銃座の裏側、支持構造の前後面に関しては資料がなく推定によらざるを得ないのが実情だ。あまり見える部分でもないので気にすることでもないのかもしれないが。

睦月型 銃座について 参考資料

グランプリ出版:『軍艦メカニズム図鑑 - 日本の駆逐艦』 原書房:「昭和造船史別冊(日本海軍艦艇図面集)」 駆逐艦菊月会:駆逐艦「菊月」復元図面  光人社:「図解・日本の駆逐艦」 「写真日本の軍艦 別巻2」 潮書房:丸スペシャルNo.51「日本の駆逐艦Ⅱ」 学研:51「真実の艦艇史2」、64「睦月型駆逐艦」 アサヒグラフ 昭和17年1月28日号 他

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