最終時の三日月について

 最終時の三日月は、缶の減少や機銃の増備など、艦容の変貌著しく、模型的にはなかなか魅力あるものになっている。細くなった煙突や撤去された兵装などに目が行きがちだが、写真を詳細に見ると、細部にも変更があることがわかる。今回はそんな部分にスポットを当てて、色々と考えてみたい。

 中央構造物後端の上面は拡張されていて、後方に張り出している。この部分は3つの支持片によって支えられているのだが、中央のガーダーは途中で断ち切られたような不思議な形をしている。思うにこれ、13ミリ機銃の銃座へと続く回廊の名残のようなものなのではないか。学研本の折り込みにもなっている、昭和16年3月の三日月の図に描かれている銃座の支持構造とよく似ているのだ。田村先生は三日月に銃座は無かった、とおっしゃっているが、私は図に描かれているような、他艦とは違う形状の銃座が有ったのでは?と疑っていたりする。他に根拠もないのだけれど。

 

 後面にある吸気口の下には足場?と手すりが付いている。この足場は開戦前から有ったもので、文月の残骸でも確認できる。吸気口の蓋を付けたり外したりする際の足元のことを考えると、ほとんどの艦には付いていたものではないかと思う。

 揚貨機は三番砲の前にもある。余分なパーツが入っているヤマシタのキットはこういう時に助かる。

 後檣基部付近の両舷には、台座を設けて高角双眼鏡が設置されているのが確認できる。主砲を降ろして銃座を設けた艦は、機銃とセットで双眼鏡が置かれたようで、水無月の図にも同じ位置に6センチ高角双眼鏡が描かれている。

 戦闘詳報の戦訓の項を見ると、対空兵装増備の要望が書かれていることがあって、そこには機銃だけではなく、電探や双眼鏡の搭載について言及されていたりする。対空兵器というのは、火器だけではなく、こうした見張り兵器も指すのだな。

 同じように機銃を増備した、皐月や文月などの艦も高角双眼鏡装備していたはずなのだが、詳細は不明。水無月の図は架台や後檣周辺の様子が三日月とは異なっていて、実際はどのような状態だったのか、よくわからない部分もある。

拡張された部分の支持構造。左右は普通の三角片だが、 センターの梁は断ち切られたような形をしている。

 

中央の開口部は奥がふさがっていて、通路では無いことが わかる。普段は四角い板かカンバスで蓋がされていたと考えられる。 下の方が紡錘形のような形になっているのは、この部分で左右の 通風筒が合流しているため。

 

左舷の通風口下から細い煙突が伸びているが破損していて、 先端の形状がわからない。

 中央構造物の後面は正確な形状が不明で、以前から疑問に思っていた。色々な図で色々な形に描かれていて、どれが正しいのかよくわからなかったのだ。それが今回、大体こんなことなのだろう、というカタチがようやく見えてきたので、述べてみたい。

 

 構造の後部は2本の吸気筒になっていて、それが1つに合体し、後方に湾曲しつつ下方向に開口している、というのが基本形状。その左右後端には三角形の板が付く。図によって後端が角ばって描かれているのは、この板部分が無いからで、単に描かれていないだけなのか、あるいは実際に無かったのかは不明。詳しくは図を参照していただきたいが、後面は単なる平面ではなく、下部が後方に突き出ていて、先端は断ち落としたようになっていた、というのが正解なようだ。探照灯下が湾曲した通風筒になる、という日本駆逐艦おなじみの構造がここでも見られるわけだ。

©2014.10.15 禁無断転載 図版の無断使用、加工等はお断りいたします。

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