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睦月型制作編

菊月を作る その1

 最初に残念なお話から。

 昨年、菊月会の方からご連絡があって、色々と情報を提供していただいた。その時に伺ったおはなしでは、菊月の残骸近くの海中に13ミリ連装機銃の銃座が半ば砂に埋もれた状態で残存している、ということであった。「丸」の19年2月号に写真が載ったのでご覧になった方もあるだろう。今春の現地調査では、この銃座の各部の寸法なども計測する予定だということで、結果を楽しみにしていた。私も図を描いたものの正確なサイズや形が分かっているわけではなく、写真などを参考に大体こんなものだろうというものを提示したに過ぎないので、正しい大きさや下部構造の詳細がわかるのは実にありがたい。

 ところがである。今年の3月に行われた調査では、なぜか銃座が発見できなかったそうだ。大波にさらわれたのか、スクラップ業者が引き揚げたのか、昨年確認した場所には姿が無かったとのことであった。銃座の正確な外形に関しては、最早新たな資料の発掘に期待するしかない。現地におもむいた菊月会の方々のご苦労も考えずに勝手なことを言ってしまうのだけど、やっぱり残念としか言いようがない。

 さて、ヤマシタの睦月型である。今回はこれを「菊月」で作ってみようと思う。少し待てば掃海型がリリースされるのだろうけれど、例によってキットをひねくり廻しつつ、あそこをこうして、ここをああしてと考えているうちに、「甲板のモールドを全部落として、そこから作ってみたい」という邪な考えがふつふつと湧き上がってきて、それならばいっその事、掃海型をと思い至ったのだ。ここまでしておいて普通に睦月を作ったのでは、なんだかメーカーに申し訳がない。菊月を選んだのはディテール写真が多いことが理由だ。

 

 それと今回は、レイアウト(配置)にも手を加えてみようと考えている。どういうことかと言うと、艦橋から煙突、探照灯に至る、シルエットの山の部分がなんとなく中央に寄っているように感じるのだな。イメージとしてはほんの少し前寄りでもいいのではないかと思う。言っておくがキットが違っているとか、そういう話をしているのじゃないよ。イメージの問題だ。ただ、ネットに上がっている作例の中に、連装機銃の銃座付近が窮屈に見えるものが有って、その原因は中央構造物の位置が下がっているからではないかと思うのだ。だから私の言うイメージの相違も、それほど的外れでもないのかもしれない。

 そういうことで今回は一番連管から中央構造物までを0.5ミリほど前に寄せて作っていく。それによってイメージが向上すれば良し、ほとんど変わらない、という結果に終わってもそれはそれで良し。これから作ろうと考えている方のいくばくかの参考にでもなればと思う。このレイアウトの変更もモールドを落とす理由の一つでもある。

 その他、レビューでは書かなかった疑問点など、追々述べていきたい。私は手が遅いので2020年中の完成を目指すつもりだ。家建てるわけじゃないんだから、とか言われそうだが。春園燕雀さんのところのほうが役に立つかもしれないな。

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ヤマシタのキットの上甲板パーツは構造物の位置に凹みがあるので、単純に上構をズラせばいいという事にはならない。甲板の右矢印部分を0.5ミリ詰めて左矢印部分に0.5ミリのスペースを挟む。0.5ミリ前に移動しても一番連管はきちんと旋回する。(切るのは上甲板パーツだけ。船体はそのまま)

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 製作にあたって、今回も1/700図を用意した。中央部の敷物については散々迷ったのだが、一面滑り止めで作ってみようと考えている。三日月の図などでは左舷中央部にラインが有って、艦橋から降りてくるあたりはリノリウムなのかな?と思わないでもないのだが、このラインは敷物の境界ではないのかもしれない。実際には単純に前から鉄甲板とリノリウムが交互になっていただけではないのか?この辺りは明確な写真がなく、判断が難しいところだが、少なくとも煙突の左右は全面リノリウムではないと思う。

菊月1/700図pdf 11/20改訂(右クリック保存)

煙突のディテールに関して

 睦月型の煙突は性能改善工事後から開戦前までにも細かな変更があって、ジャッキステーの付き方や蒸気捨管などに変化がある。しかしながら既存の図はこれらが反映されておらず、あまり参考にはならない。

 また、艦によっては一番煙突前面に小さなH型の煙突があるようで、如月・三日月・菊月で確認できる。

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写真1は昭和12年の如月。H型の小煙突が見える。ジャッキステーの状態はキットと異なっている。写真2は昭和13年の三日月。ジャッキステーの付き方はキットと同じように見える。汽笛のところに作業台があるが、これは三日月だけの装備のようで、他艦では確認できない。やはりH型の小煙突がある。写真3は昭和16年の文月。ジャッキステーの様子がよくわかる。蒸気捨管の先端はY字型。おそらく他の睦月型も開戦までに同じような変更が加えられたと考えられる。煙突正面にラッタルが付いている。

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図の左は長月の側面図に描かれた一番煙突。ヤマシタのキットはこれを忠実にトレースしている。図の右は残骸写真から起こした昭和17年時の菊月の一番煙突。上の文月の写真などからわかるように、開戦時の睦月型の煙突は菊月のようなディテールであったと思われる。

一番煙突の小煙突について(改訂)

 前回、小煙突の取り回しについて色々書いた所、老猿さんから、三日月の諸甲板平面艤装図に煙路が描かれている、とのご指摘をいただいた。下の図がそれで、なるほどこういうことなのだな。小煙突は士官浴室ではなく、その先から艦橋内に入っていて、小型のボイラーなのかストーブなのか、何かの装置に繋がっている。写真をよく見ると、確かにラッタルの裏側を通って先に伸びているようだ。

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 菊月の小煙突も同じように下部艦橋内の装置に繋がっていると考えられるのだが、残骸写真を見る限り艦橋の左右に煙突が通っていたような形跡が無い。伝声管はそのままの状態で残っているので、煙突だけが破損・脱落したとは考えにくい。ということは、やはり艦橋後面から内部に入っていた、と考えるのが自然なのではないか。確認できる写真もないのだけれど。

三日月最終時の艦橋付近。煙突が艦橋側面を通っている。この取り回しは三日月だけのものかもしれない。

一番煙突の小煙突について(さらに追記)

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これが正しい三日月の小煙突の取り回し。多分菊月も同様

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菊月の艦橋。矢印の所に煙突の引込孔らしき ものが見える

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 先日、三日月の環境付近の側面図(学研本の折り込みのポジ反転する前の図)を見ていたら、下部艦橋側面の小煙突の配管がちゃんと描いてあるじゃないですか。反転するときに白く飛んでしまっているだけで、元図にはしっかり描いてあるのだな。気づかなかった。これで見るとラッタルの下を通って艦橋内に入るのが正しいらしい。

 

 あらためて菊月の艦橋の写真をよく見てみると、同じ場所に煙突の引き込み孔のようなものが確認できる。おそらく三日月同様、小煙突はここに繋がっていたのだろう。問題はこのあたりに配管の形跡が無いことで、破損して脱落したのか、ちょっと謎だったのだが、老猿さんから再びご指摘があり、煙路全てが常設なのでは無く、一部が取り外し式なのでは?とのご意見をいただいた。なるほど、ストーブの煙突とか吸気筒のように必要な時だけ立てる(繋げる)という方式もあるわけだね。確かに菊月の残骸写真の中には、問題の小煙突は途中で切れているのではないか?どこにも繋がっていないのではないか?と思わせるものがある。

 さらに言うと、この小煙突、如月と菊月に関しては早い時期の写真で確認することができる。他艦では確認できないので、如月・菊月・三日月の3艦だけの相違点であったことになる。この煙突が繋がっていた謎の装置は湯沸かし器だったようで、その他の艦には無かったのか、もし有ったとすれば排気はどうしていたのか?など謎は尽きない。

 

 とりあえず小煙突に関してこれで終了としたい。今回は色々と勉強になった。写真と図を突き合わせながら、わからなかったことが解明されていくというのは、やっぱり楽しいな、と再確認した。追記に追記を重ねて、二転三転、相変わらずいい加減で情けない限りだが、どうか寛大な心で見てやってください。次回は三番砲下の形状についての予定。

昭和7年の菊月。小煙突がある。昭和4年の写真 でも確認できる。

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