平成のことは平成のうちに、というわけではないが、長らく放置していた朝潮ができたので宿題にしていた後編をやっつけてしまおう。工作の主眼はマストと蒸気捨管を金属線に置き換えて細くすることで、これは他の艦でも必須の作業。このキットだけの工作としては艦橋頂部の方位盤の代替と、スキットビームの変更、省略された各種吸気筒の追加がある。それに加えて今回は主砲砲身をテーパーの付いたものに交換している。

 こう書くと随分な作業量に見えるが、それほど大掛かりな工作ではない。

外板の段差表現はサフ厚塗りではなく、筋彫りと塗装によるもの。出っ張っているのはあんまり好きじゃない。

 艦橋頂部の方位盤についてはNYのDan Kという人がピットの武装セット(E-10)のB27というパーツを使えと、どこかで書いていた。これはどういうことかと言うと、E-10というのは特型に入っているランナーで、B27は特Ⅲの艦橋頂部のパーツだ。ピットの特ⅠかⅡのキットを持っていると、このパーツが余剰になるので、これを使うと全くもって無駄がないということだ。ところが実際にパーツを用意して眺めてみるとどうもよろしくない。なんか大きいのだ。ピットの特Ⅲはなんであんなに艦橋が似てないんだろうと思っていたが、形状だけでなく構成しているパーツのバランスにも問題があるのだな。ちなみに方位盤の上に載る測距儀の大きさは正しいので、これは流用可能。

 今回は仕方がないので、方位盤は3ミリ丸棒を芯にスクラッチした。流用するならヤマシタの特Ⅲかフジミの陽炎型かな。合同展示会で知り合った鳶色の会の人はキットのパーツ(夕雲型の方位盤)を削った、と言っていたな。

 艦橋左舷側と後面に配管を追加。旗甲板は0.3ミリに差し替えた。後端の探照灯管制器は気に入ったものができず、シートを被せた状態でごまかしている。

右はフジミ白露型のパーツ、左が問題のB27。 フジミのパーツが良いわけではないが大きさはほぼ適正。ピットの方位盤は明らかに大きすぎ。高さもデカイ。

 艦橋直後の吸気筒には小さな吸気筒を追加。プラ材から削り出したがヤマシタの睦月型から持って来ればよかった。発射管前の吸気筒は悲しい形状なので新規に作成して交換する。一番煙突付近は少しあっさりしているので、左舷に小さな煙突を付けたり、木材などを貼ってディテールを増やしている。蒸気捨管は細めの金属線に置き換えているが、これは実感を高めるのに効果的なので、できるだけ手を加えたい。キットの捨管は先端がT字型だが、実際はY字型なのでついでに修正する。

一番煙突周辺の工作。煙突基部の左舷は本当は円材置き場。写真のような板ではない。一度接着したものを剥がして置き換える羽目に。写真中央は白露型の「山風」。煙突基部に角材が見える。朝潮型もほぼ同様だ。機銃台の支柱は太いので1ミリ丸棒に差し替え。

後部構造には通風筒や吸気筒を追加。このキットの追加ポイントは配管工事ばかりだ。

主砲砲身を差し替えた状態。左からキットパーツ、削り出し、Xパーツ砲身を使用したもの。Xパーツ使用の場合は後面に0.5ミリを足して前に出してやらないと砲身が短くなってしまう。さらに防水布を後方に延長する必要がある。削り出しはちょっとテーパーが強すぎた上に全体に太すぎた。これはあとで作り直したい。反省。キットの砲塔はD型なのでC型との相違点を修正。

キットのカッターはよくできているのだけど、縁が厚く、目立つところにダボ穴がある。ちょっと試したい方法があったので、パーツを元に自作してみた。カッターの自作はそれほど難しいことではなく、突き詰めて言えばガワ(艇体)さえ作ってしまえばいいのだ。作成方法については、なんだか話が長くなりそうなので、次回の睦月型制作編(菊月を作る)の中で詳しく解説したい。 写真は左からキットパーツ、自作の艇体、それをひっくり返したもの。きちんとキールも有る。これに腰掛け板を着ければ出来上がり。

開戦時の朝潮の塗装について

 開戦初頭に金剛から撮影された陽炎型の写真がある。有名な写真なので一度はご覧になったことがあるだろう。一番煙突に「ろ」と描かれたこの艦は「不知火」ということになっている。だが、前にも書いたが私はそれは怪しいと思っている。なぜならこの時期、不知火が2番艦(艦船番号記号「ろ」=2番艦)であったという事実が確認できない上に、写真のスチームサイレンの配管が不知火の形状とは異なるからだ。開戦時、金剛の近くにいた陽炎型で、2番艦で、このようなスチームサイレンの取り回し、という条件で考えていくと、この艦は4駆の「野分」ではないか?というのが私の考えだ。

 

 ところで、この写真には同時に撮られたと思われるものが何枚かあって、その中に二番煙突に「は」の字を描いた朝潮型の写真がある。先ほどの陽炎型を「不知火」として、この朝潮型を同じ18駆の「霞」としてしているキャプションを見たことがあるが、それも違うだろうと思う。陽炎型は「不知火」ではないし、同一の駆逐隊で違う煙突に艦船番号記号を描くということも考え難い。開戦時、金剛と行動を共にしていた朝潮型は8駆の4隻で、おそらくこの艦は「満潮」ではないか。ということはこの時二番艦であった「朝潮」は二番煙突に「ろ」と描いていたはずだ。 今回はこのような考証を元に開戦時の「朝潮」の塗装を再現してみた。ちなみに8駆の朝潮型は砲身基部の防水布まで グレイに塗っていた。

※駆逐艦名の後のカッコ内の数字は艦船番号。4駆は四水戦、6駆は一水戦、8駆は二水戦と本来の所属はバラバラ。煙突の艦船番号記号は元の水雷戦隊の規定に則ったものではなく、南方部隊内での取り決めによるものではないかと考えられる(四水戦の規定であれば4駆の4隻は二番煙突に数字を描いていた可能性がある)。

ちなみに4駆は一番煙突、6駆は艦橋、8駆は二番煙突に、ひらがなの「いろは」を描いている。

今回はスキッドビームの自作をあきらめてレインボーのエッチングを使用した。機銃台や探照灯周辺の帆布は手すりのパターンをプリントしたコピー紙を使用。パターンの形に折り目をつけて、印刷面を内側にして巻いている。手抜きのわりには結構効果的だ。25ミリ機銃はキットのパーツで、銃身のみ金属線に差し替えている。

 やれやれ、なんとか平成に間に合ったかな。こうして写真に撮ってみると、なんだかだんだん下手になっている気がする。今回はエッチングパーツに救われた感じだな。最近モノを作るのがツラくなってきて、パーツを掴もうとするんだけどピンセットの先が虚しく宙をさまよう、ということが多くなった。つくづく年は取りたくないなと思う。次の睦月型、大丈夫かな。(2019.4.28)

©2014.10.15 禁無断転載 図版の無断使用、加工等はお断りいたします。

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now