続・ⅡA型の相違点

スキッドビームについて他

 先日、アルセノさんとおっしゃる方からご質問をいただいた。特型の右舷前方に在るスキッドビームは、Ⅲ型では前後の支柱間の幅が広くなっている、と言われているが、ⅡA型の「曙」の幅も広いのではないか?ということであった。これは気がつかなかった、と思い、色々な写真をひっくり返してみた(こういう場合は図面ではなく写真で確認しなければならない)。すると確かに広いんですね、これが。しかもⅢ型よりも広い。念のため他のⅡ型も確認した上で、ご指摘の通り「曙」のスキッドビームの幅は広いが、これは「曙」だけの特殊な例ではないか、と返答した。

 ところが、これが大間違いだった。

 実は「漣」のスキッドビームも同じように幅の広いものだったのだ。なぜこんな間違いをしでかしたのかというと、「漣」は右横からの適当な写真が無く、仕方なしに側面図を参照したためで、この図が正しくなく、実際とは異なる形状に描かれていたのだ。この側面図はⅡA型なのにⅡ型の背の高い煙突が描いてあったり、怪しい図だなとは思っていたのだけど、すっかり騙されてしまった。図面を盲信すると痛い目をみるという見本だな。悲しい。

 詳しくは下図を参照していただくとして、「漣」も「曙」と同じで、支柱間の幅は幅は広いです。アルセノさん、すいませんでした。

少々見づらくて申し訳ないが、左が問題の上側面図。先頭の支柱の位置が側面図と上面図で異なっている。同じ図が「決定版 日本の水雷戦隊」に載っている。また、トレースしたものが艦スペNo.25の折り込みにあるので、お手元にある方はご確認を。真・総ざらいの図でも可。実艦の写真と比べてみると、ダビッドや2番目の支柱の位置は図面通りだが、先頭の支柱は「サ」の字の右外側に有って、上面図のほうが正しいことがわかる。すなわち「漣」の支柱間も広いのだ。

 さて、なぜ「曙」と「漣」のスキッドビームの幅は広いのか、その理由を考えてみたい。支柱間が広がったのは、湾曲していた部分が直線になったからだ。では、なぜ直線にしたのか?思うに支柱の構造を変えたからではないか。以前の支柱は下のフランジ部分が短い変則的なH型材だったのだ。しかし、「漣」の支柱は、中空の角柱のような構造になっている。表面に軽目穴が有ることが写真から確認できるだろう。この構造では湾曲した形に作るのがむずかしかったんじゃないか?クニャクニャとねじれた柱を箱組みで作れ、と言うのと同じことだからね。ただ、直線にすると大きく重くなってしまうという問題が生じる。それは電気溶接を導入することで解決しているのではないか。スキッドビームは鋲接で作られているのだけど、「夕霧」で試験的に溶接で作ってみたら約30%の重量削減に成功した、という報告が確認されている。溶接ならば多少大きくなってもそれほど重量増にはならないということだ。確証はないが「曙」と「漣」とⅢ型のスキッドビームは溶接で出来ている気がする(「潮」と「朧」は鋲接)。また、支柱が大きく湾曲していたのは発射管の旋回範囲との関連だろうが、運用実績から、直線でも差し支えないという判断もあったのではないかな。まぁ想像の域は出ないのだけど。

 

 

 それから、これはⅢ型への導入のテストベッド的な意味合いは無いと思う。Ⅱ型とⅢ型では発射管や煙突などのレイアウトが異なるので、同一の形状にはならないし、テストベッドならば2艦も用意する必要がない。あくまで運用実績や技術的なフィードバックの結果であって、変えられるところから変えていきましょう、というようなことだと思う。

 なんだか面倒なことを長々と述べてしまった。要するに「曙」と「漣」のスキッドビームはちょっと違う、ということをご理解いただければ、と思う。この部分は上側面図なんかでは簡単に描かれていることが多く、実際の形状が把握しにくい部分だ。実物は形が複雑で、支柱はどこも拗れているし、おまけに前後左右にディテールが有る。しかも艦によって細部が異なる部分もある。模型で再現するのは難しいな。私はイメージの問題で太さについては何か言ったことはあるけど、ディテールに関してはメーカーに何か言おうとは思わないなぁ。自作を試みた上での実感だけど、それはもうナノドレの世界でしょう。まぁ、正確ガー、正確ガー、とやかましい人なんかは、当然の事ながら各部にディテールの入った正しい形状のものを作るんでしょうね。知らんけど。

対空識別塗装について考える

 同じアルセノさんがツイッターで「曙」の前檣の写真を公開しているのだが、これが見張所より上の部分を白く塗っている。おそらく空からの識別用だと思うのだけど、ちょっと珍しい写真だ。

 識別用にマストの上部を白く塗る、ということは割合早くから行われていて、17年の2月14日に阿武隈が前後檣の上部を白く塗った、という記録がある。

 17年5月24日には、「聯合艦隊戦策付録(B)第十二味方識別の第二項飛行機對艦船及陸上施設ノ項、昼間ノ部」に追加があって、曰く

 

戦艦ハ主砲射撃指揮所及同甲板竝ニ夫レ以上ノ前後檣頂ヲ白灰色ニ塗粧シ射撃塔上面ニ日ノ丸ヲ記シ巡洋艦、航空母艦モ右ヲ準用

 

ということになった。艦橋頂部の白塗装は聯合艦隊所属を示すとか言われていたが、本来は味方機からの誤爆を避ける目的だったのだな。しかも艦橋だけでなくマスト上端も同様の指示があって、指定色も白灰色になっている。実際、有名な、ミッドウェーから帰投する比叡や金剛の写真をよく見ると、確かに後檣の上部は明色だ。他にも17〜18年あたりの写真を色々眺めていると、マスト上部が明るく写っているものがある。それでも近年発見された武蔵の写真は、艦橋頂部は白いが、マスト上部は白くなかったりする。謎だ。

17年8月の愛宕。後檣上部が白い。 後続艦の様子から考えると前檣トップも 白かったのではないか。

 思うに空母の隼鷹型とか大鳳の煙突が明るく写っているのは、この規定が準用されて、射撃指揮所(この場合は防空指揮所か?)より上にあるから、ということで煙突をライトグレイに塗った結果なんじゃないか?あんまり賛同を得られそうも無いけど。

 

 同じ改訂では、夜間の対艦識別についても追加があって、軍艦並びに駆逐艦は夜間、前檣上桁両端に白の吹き流しを付けるように指示されている。大きさは、軍艦で直径1〜0.8メートル、長さ7メートル。駆逐艦は直径0.8〜0.6?メートル、長さ5メートルとなっている。17年8月の一木支隊上陸時の戦闘詳報に駆逐艦が吹き流しを付けた記述があるが、これのことだろう。丸スペNo.99「第一次・第二次ソロモン海戦」の表紙絵の鳥海にも、しっかり吹き流しが描かれていますわな。

 

 これらの改訂の記述は横須賀鎮守府戦時日誌の17年5月の令達報告の項にあるから、興味のある方は一読されるといいだろう。

 すっかり話が脱線してしまったが、先に示したように「曙」の白塗装は対空識別を目的としたものだと思う。しかし上の記述では駆逐艦は対象に含まれていない。おそらく17年後半から18年初頭にかけてのどこかで、さらに改訂があったのでは、と考えているのだが、そのあたりは戦時日誌にも欠落が多く、具体的な証拠は発見できていない。また、この時期は写真も少ない。マスト上端を白く塗ったとみられる写真も無くは無いが、白く塗ってない写真もまた存在する。なので、全軍統一の規格ではなく、期間限定、作戦限定の標識である可能性も否定できないのだ。何れにせよ今のところ材料が乏しくてどうにもならない。何かご存知の方は、私でもアルセノさんでも、ご一報いただけたら幸いである。

写真は18年7月、三日月最終時の艦橋付近。曙の写真とほぼ同時期にあたる。ニューブリテン島西部で場所も近い。前檣をよく見ると、揚旗斜桁より上の部分は明色になっている。最終時の三日月を作る時の、塗装のポイントだな。中段に有る謎の白い物体は、対空識別標識ではないか?うろ覚えだが、板で作った標識を前檣に掲げた、という記述を戦時日誌か何かで見かけた記憶がある。これについても情報を求む。

17年6月の千歳。変則的だが、前後檣上端が白い。

©2014.10.15 禁無断転載 図版の無断使用、加工等はお断りいたします。

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