連装砲に関してちょっと言いたい 前編

 特型以外の艦はなぜ、射界制限柵を持たないか、という疑問に端を発した連装砲探究だが、気がついたら底なし沼に足を踏み入れてしまったようで、つくづく安易であったと反省しきりである。公開後、再度写真や資料を見返してみたのだが、新たに判明した事が多すぎて頭を抱えてしまった。また、わからないことがいくつも出てきて、うまく解説できるかどうかも自信がない。それでも現状のC/D型の図やキットには、やはり疑問がある。

 そういうことで、やっぱり連装砲に関してちょっと言いたい。前回公開したものは無かったことにして、一旦リセットして、新たな気持ちでご覧いただきたい。

 

 文中の図は各タイプの1番砲を示している。個艦で差があったりするので、空中線支柱は省略していることをご了承いただきたい。

B型砲のバリエーション

 特型のB型砲は後のC型のように、シールド前面に射界制限機構が付かないので、砲前に柵が立っている。昭和19年の写真でも確認できるので、おそらく最後までこの状態だったのではないか。

 

 特型も初春型も13年頃に1番砲のシールドを新造のものと交換している。どちらも基本的な形状は同じなのだが、初春型はジャッキステーが違っていたり、前面に射界制限装置?が付いていたり、細部が異なっている。初春型は昭和14年以降の鮮明な写真が乏しく、不明な点が多い。

 

 夕立は白露型で唯一のB型砲装備艦で、その砲は改3と呼ばれるものだが、その所以は主として内部機構に関するもので、外見的には大きな差が無い。特型に射界制限装置が付いたような形状をしている。

 

 初春型や夕立のB型砲に射界制限装置が付いて、なぜ特型には付かなかったのかは不明。

 これは朝潮型として、よく取り上げられる写真。よく見ると、1:照準室が一段高くなっている。2:砲の横に大きな段差がある、などのことからC型ではなくB型砲であることがわかる。3:砲前に射界制限柵があることを考えると、この3隻はおそらく特型だ。朝潮型ではない。

C型砲について

 図はC型の初期バージョン。有明型や白露型、朝潮型が新造時に搭載していたのが、このタイプ。側面にフレームが付かない。また、照準室前の増積が行われていない状態。照準室前の短く、大きな補強フレームは最初から有った。このフレームがC/D型のひとつの特徴。そして前面の射界制限器?。この2つが無いC型はC型ではない。有明型および白露型前期艦は昭和12年までに、補強フレームの追加と照準室前の増積を行っていたようだが、それらも含めて昭和13年頃には全艦、1番砲のみ下図のような新造のシールドに交換された。交換後の余ったシールドは補強工事後、陽炎型の2・3番砲として転用された。

 図は陽炎型のもので、C型の標準的なモデル。陽炎型の1番砲は最初からこの状態。照準室前が板状に増積し、砲室側面に補強フレームが付く。誤解されやすいのだが、上のフレームは照準室前のフレームとは接続しておらず、別個の独立したもの。また下のフレームは前面中央部には付かない。これらはD型でも同様。照準室上面に上下式と見られる丸いフタがつくのも初期型との相違点。

 学研の「陽炎型駆逐艦」の記事中に、「各艦五十口径十二糎七聯装砲塔(C型)楯換装充當表」という資料が載っていて、有明型、白露型、朝潮型の各艦で使用されていた1番砲のシールドが、陽炎型のどの艦に流用されたのかが判る。この表によると第十八号艦(不知火)は、2番砲は「山風」、3番砲は「江風」から流用ということになっている。ところが修理中の「不知火」の写真を見ると、「山風」のシールドは2番ではなく、3番砲で使用されていて、充當表とは異なっている(山風の1番砲は「日本駆逐艦史(新版)」の写真参照)。どこになにを使うかは、実際にはそれほど厳密ではなかったのかもしれない。

 また、充當表の注意書きには、補強フレーム(山型鋼)のあるシールドは、転用する際にフレームを撤去するよう指示があって、2・3番砲にはフレームが付かないことが明確になっている。

C型砲基本形のチェックポイント

装置を外した状態のC型正面。このように取付基部がある。D型にはこの基部すら無い。補強フレームが正面には無いことにも注意。

 前面にある謎の大きな箱形。正式名称も目的も不明だが、その先端が砲身に接していることから、射界制限柵と同じようなものではないかと考えられる。射撃時には取り外したりするのか、上下に可動するのか、詳細は不明。世に出回っている図が、これをまったく無視しているのも謎だ。この装置を最初に付けたのは、おそらく新造時の「初春」と「子の日」の単装砲で、写真をよく見ると砲室正面に謎の縦線があると思う。多分これと同じものではないか。同様の砲を装備した新造時の「千鳥」には砲正面に縦線が無く、射界制限柵が有る。

追記:この装置の名称だが、「磯風」の昭和20年1月の戦時日誌に、激浪による衝撃で主砲の「仰角制限装置」の「仰角制限座」が湾曲した、との記述がある。「仰角制限装置」というのがこの装置の名称ではないか。

©2014.10.15 禁無断転載 図版の無断使用、加工等はお断りいたします。

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