連装砲に関してちょっと言いたい 後編

D型砲と末期のB/C型

「陽炎型駆逐艦」より沖波の2番砲。スライド式になっている照準室天蓋の様子がよくわかる。

 D型は高角射撃が可能になった以外は、C型とは外見上の差がないように解説されることが多いが、実際には明確な相違点が存在する。確かに基本的な形状は同じなのだが、D型には正面の射界制限装置が無い。また、B型やC型とは異なり、2・3番砲にも側面に補強フレームが付く。

 高角射撃に対応したため、照準室周りに差異があって、C型は正面扉のユニットが断面内に納まっているのに対し、D型はユニットが断面の外側に少しはみ出す。照準室の幅が内側に向かって若干広くなっている。

 さらに天蓋の一部がスライドして開くようになっており、高角射撃時の照準に対応している。学研の「陽炎型駆逐艦」や、「マニラの残照」がお手元にある方は、「沖波」の写真を見ていただくと、このあたりの構造がご理解いただけるかと思う。

改造にともなって、スライド部のジャッキステーが無くなっている。

昭和19年の「響」。照準室天蓋にスライド部とレールがあるのがわかる。外側にストッパーが付いている。

 図は昭和20年12月、復員輸送時の「雪風」の写真を元に作図したもの。下に比較のため、昭和16年の「舞風」の写真を並べてみた。照準室が異なっているのがお分かりいただけるだろうか。「雪風」の照準室は、D型同様、天蓋の一部がスライドして開くように改造されている。このような事例は雪風に限ったことではなく、末期のB・C型砲搭載艦は対空射撃に対応した改造を実施していたとみられる。

 C型砲は仰角55度まで射撃可能とされているが、それはあくまでスペック上のことで、砲側照準による射撃の最大仰角は15度にすぎず、対空戦闘にはほとんど役に立たなかった。砲自体は射撃可能なのだが、照準器が対応していなかったのだ。仰角増大への要望に呼応する形で実施されたのが、照準室と照準器の改造だ。しかし、その実態にはよくわからない部分も多い。

 朝潮型の「山雲」の例では、昭和19年2月から3月にかけて「砲塔照準孔改造」が、7月に「照準器改造」が行われているので、時期的には19年前半に実施されたものではないかと考えられる。どちらの工事も「昭和十八年艦本機密第一号ノ五七九二九号」に依る、となっているのだが、この訓令の内容はわかっていない。

 B型砲も同様で、昭和19年9月の「響」の写真では照準室天蓋が開閉式になっているのが確認できる。おそらく、比島沖海戦時には、多くの駆逐艦で、主砲の対空射撃が可能になっていたのではないか。「マニラの残照」には「初春」の残骸が載っているが、その1番砲の砲身が、中天を睨んだ状態でいるのには、理由があるのではないかと思うのだ。

D型砲基本形のチェックポイント

沖波の残骸を撮影した映像をC型砲の写真と比較してみると、D型砲の照準室は内側方向に少し拡張されているのがわかる。

 

改造されたC型の正面扉は以前よりも拡大していて、形状から、D型と同じものと思われる。

謎のC型について

 「帝国海軍調べ隊!」というブログで公開されている、安間孝正軍医少佐のアルバム写真の中にある艦名不詳の駆逐艦のC型砲がちょっと変わっていて、一体この艦は何だろう?ということだったのだが、一旦は「春雨」ではないかと言ったものの、再度検討してみるとその他の艦の可能性も出てきて、ちょっと判断がつかない。

 C型砲装備で角張った艦橋、ということから白露型の前期型だという見当はつく(有明型は空中線支柱が異なる)。手すりの状態は「白露」に近いのだけど、だとすると無線電話の支柱が写っていてもいいのではないか?そう考えると支柱が中央にある「春雨」の可能性が高いのではないか、というのが最初の考えであった。損傷修理後の「春雨」の写真でも1番砲のジャッキステーがB型仕様に見えなくもない。(損傷前の「春雨」の写真がある、と書いたのは間違いで別の艦でした。すいません。)

 ところが「マニラの残照」のmkさんが公開した、白露型前期艦の1番砲前で撮った写真があって、この砲のジャッキステーもB型仕様なのである。左舷にオフセットされた無線電話の基部が写っているから、この艦は「春雨」ではない。しかもこの写真、よく見ると照準室前面の扉のユニットが通常のC型とは異なっていて、高角射撃対応に改造されているようにも見える。ということは19年の撮影か?だとすると「村雨」の可能性は無くなるわけだ。なんとなく「時雨」かな?という気もするのだけど、「時雨」は鮮明な写真が無く、判断がつかない。残念ながらお手上げだ。

 いずれにせよ、この件は白露型の相違点に関わる問題なので、もう少し検討を重ねてみたい。

以上、連装砲についてあれこれ並べてみた。D型砲についても色々書いているが、このサイトでは「夕雲型」や末期の艦は守備範囲外なので、本当はあまり意味がない。ちょっと病気だな。ジャッキステーまでは無理だとしても、基本的な形状の違いは1/700でも表現できるのではないかと思う。何かの参考になってくれればうれしい。

C型砲。せっかくなのでカラーで描いてみた。

改造C型砲について追記

 改造C型砲の解説で、照準室前面の様子に不明点があると書いたが、これは参考にした丸スペシャル掲載の写真がトリミングされていて、外側のスライドレールの処理がわからなかったからだ。どこかにオリジナルの写真が掲載されていないものか、と探していたのだが、グラフィッククォータリーの「日本の駆逐艦(続)」の中に、同じ写真が外側まで切らずに出ているじゃないですか。確かこれ、見ていたはずなんだがなぁ・・・。ということで改造C型砲の照準室前面の様子が判明したので、追記します。
 従来の照準室前面に新たなトビラと開閉用のレールを取り付けていて、照準室の外側カドには穴空きの支持片が付く、というのが改造後の形状であるようだ。1/700でこれを再現しようとは思わないけど、1/350かそれ以上ならば検討してもいいかもしれない。

不知火、二番砲

風雲、二番砲

仰角制限装置について追記

 前面に仰角制限装置の付いたB型とC型砲の写真をよく見ると、砲室前面下部に円弧状の柵のようなものを見つけることができる(写真)。スリット状になっていることから考えて、これは波除けではない。
 この柵に関して老猿さんは、仰角制限装置の一部ではないかとお考えのようだ。すなわち、砲身に接する支持棒?が下がったときに、ここに接することで俯角を制限しているのではないか、ということだ。(この範囲内だと自艦を射撃する可能性がある?)つまり、この柵までが仰角制限装置ということだね。
 なるほど、とも思うが、ひとつ引っかかっていることがある。それは夕雲型の公式図の砲室前にも、この柵らしきものが描かれていることだ(下図)。D型砲には仰角制限装置が無いのであるから、もしこの柵が付いているのであれば、仰角制限装置とは関係ないことになる。ただ、いつでもそうだけど、公式図が絶対正しいということはない。公式図に描かれていなくても写真に写っている例はいくつもあるし、逆もまた同様だ。
 これは写真で確かめるに如かない。そう思って、沖波の残骸を見てみると、果たせるかな砲室前に問題の柵が無いのだな。これで結論が導きだせればいいのだけど、さすがに一例だけでは心許ない。夕雲型は19隻もあるのだ。
 

 そんなことを考えていたら、フィリピンの海底で「浜波」が発見されて画像が公開された。その中に二・三番砲が写っているものがあって、見るとやっぱり砲前に柵が無いである。
 サンプルとしては2例目でしかないが、それでも10割だ。
 これはやはり、砲前の柵は仰角制限装置の一部である可能性が高いのではないか。夕雲型の公式図に描かれている物体は実際には存在しないのではないか。断定はできないが。
 とりあえず今後の海底調査の結果に期待したい。D型砲の画像があったら前端の下部に柵があるかどうか、注意してみていただきたい。(2018.2.8追記)

初期のD型について

 竣工時の「夕雲」のD型砲の照準室がC型と同型であったという事実を踏まえて、あらためて夕雲型の写真を見直してみた。天蓋を改造した砲は照準室前面に大型の扉のユニットが付いているので、四角い板が貼ってあるような印象がある。写真をよく見ると、この“板”が無いように見えるものもあれば、はっきり写っているものもある。夕雲型の写真はほとんどが公試時のものであるから、未改造の砲を載せて竣工した艦もあれば、最初から改造した砲を載せて完成した艦もあった、ということになる。この違いは前期と後期のようなもので、ものすごく適当な言い方をしてしまえば、電探を載せて完成した艦は改造した砲を最初から載せていたとみていいのではないかと思う。

 夕雲型の竣工は16年末から18年末にかけてで、また乱暴なことを言ってしまうと、18年1月竣工の「清波」までの主砲は改造前、18年7月竣工の「涼波」以降が改造後と考えていいのではないか。実際、18年7月24日撮影の「早波」の公試写真のD型砲は明らかに改造されたものだ。問題は4月竣工の「玉波」で、これは写真が一枚も無く判断のしようがない。そこで、夕雲型ではないが、5月に竣工した「島風」の写真を見てみる。おなじみの公試時の写真である。「島風」の主砲もD型だが、写真の砲は改造されてはいないように見える。ということは「玉波」も主砲に関しては改造前だったとみなしてもいいのではないだろうか。

 どうも照準室改造に関しては18年の5〜6月あたりにひとつの境界線があるようだ、と考えて色々な書類をひっくり返してみる。すると舞鶴鎮守府戦時日誌の5月8日の項に「艦本機密第一號ノ三八二三(三、七)通牒ニ依リ三〇口径三年式十二糎七砲(C型D型)聯装砲塔照準器一部改造工事指示外」という記述があるのを見つけた。これが照準室天蓋の改造を示すことだという証拠は今のところ無い。しかし、時期的に見て可能性が高いのではないかと思う。5月竣工の艦が未改造で、7月竣工の艦が改造済という事実に矛盾しない。

 前期型の艦も、18年後半から19年にかけて照準室を改造していったと考えられるが、18年5月以前に戦没した高波や巻雲などは未改造のままだったのではないか。18年中に戦没の夕雲や清波、大波などは判断に迷うところだ。(2019.6.5追記)

C/D型砲について 参考資料

アジア歴史資料センター:昭和18年12月5日~昭和19年7月31日 第4駆逐隊戦時日誌戦闘詳報【 レファレンスコード 】C08030145200 昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報【 レファレンスコード 】C08030146800 グランプリ出版:『軍艦メカニズム図鑑 - 日本の駆逐艦』 光人社:図解・日本の駆逐艦 潮書房:丸スペシャルNo.41「日本の駆逐艦Ⅰ」 学研:19「陽炎型駆逐艦」、70「完全版 特型駆逐艦」 小高正稔「マニラの残照」 海人社:「日本駆逐艦史」

©2014.10.15 禁無断転載 図版の無断使用、加工等はお断りいたします。

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