特Ⅱ型資料編       

7駆のマーキングとⅡA型の相違点(前編)

 大戦中のⅡA型の写真としては、昭和17年2月に羽黒から撮影されたものが残っている。学研の「完全版 特型駆逐艦」などに掲載されているので、ご存知の方も多いだろう。これらは中央部のディテールの分かる良い写真なのだが、艦名は「潮」もしくは「漣」となっていて特定されていない。これはⅡA型が個艦の相違が少ないためで、舷側の艦名が消されてしまうと、どの艦なのかわからなくなってしまうからだ。

 だが、少ないとはいえ、やはり細かな相違が存在するのである。

 今回はⅡA型の相違点について見ながら、写真の艦を特定し、なおかつ大戦初期の7駆のマーキングについて考えてみたい。

 

 ⅡA型の相違点のひとつに、探照灯脇にある縦舵機調整台の数と位置がある。下の図は「潮」と「曙」「漣」の比較図だが、3艦ともわずかずつ異なっている。このあたりの装備は時期によって変更があるので、必ずしも決定的なものではないが、目安にはなるものだ。この部分に着目しつつ問題の写真を見てみよう。

潮:縦舵機調整台は左舷1基。位置は前寄り。

曙:縦舵機調整台は左舷1基。位置は後寄り。(右舷は推定)

漣:縦舵機調整台は左舷2基。 背の低い吸気筒が見える

 写真は学研本で「漣」とおぼしき、とされている艦だが、左舷の縦舵機調整台は1基しかない。しかしながらよく見ると台座の跡が有って、本来は2基であったことがわかる。

 その他、二番煙突の箱形の装備品、背の低い吸気筒など、細部の特徴も、昭和15年の写真に合致している。この艦は「漣」である。

 この「漣」の写真だが、少々わかりづらいが一番煙突にひらがなの「ろ」の字が書かれているのがおわかりいただけるだろうか。開戦時の七駆の編成は1番艦から「潮」「漣」「曙」の順であったので、2番艦の標識である「ろ」の字を書いていたわけだ。この標識だけで「漣」と特定することも不可能ではないのだが、艦船番号は事故や損傷によって一時的に変更されることもあるので、念のため細部のチェックが必要になる。

 これは「ガ島輸送作戦中に機銃掃射を受けた潮の一番煙突」と言われるものだ。孔だらけの煙突には「ろ」の字が書かれている。Ⅰ型のマーキング編で述べたように、ソロモン戦の頃には艦船番号記号は図形を使用していたはずだ。

 また、後篇で詳述するが7駆のマーキングは17年4月には変更されているので、この写真がソロモン戦のものだとは思えない。学研本のP65に、2月27日のスラバヤ沖海戦で「漣」が艦橋に被弾、1番煙突が弾片で孔だらけになった、との記述がある。この写真はおそらくその時のものではないか。ちなみに同書のP161にある「潮」となっている写真も「ろ」の字が書かれていて、実は「漣」である。

7駆艦船番号記号(開戦時)

 では残りのもう1艦は、と言えば、これは「曙」ということになる。なにしろ三番艦の「は」の字が書かれているのだから。しかも縦舵機調整台も後寄りだ。しかし、それではあまりにも素っ気ないので、次回は「潮」と「曙」の相違点などを検証しつつ、珊瑚海海戦時の七駆のマーキングなどについても考えてみたい。

探照灯左舷近辺の変更について

通船使用時の探照灯付近

新造時のオーバーヘッドレール

通船廃止後の探照灯付近

 Ⅱ型の探照灯脇にある甲板は通船廃止後(性能改善工事後?)、縮小されている。これはⅡ型でもⅡA型でも同様だ。この変更にともなって、オーバーヘッドレールも一部変更されたようなのだが、はっきり確認できる写真がない。通船が有った場所は木材などの資材置き場になっている。

 写真は昭和13年頃の天霧の中央部。通船のあった場所の甲板が無くなっているのが確認できる。

7駆のマーキング編(前編)参考資料

ダイヤモンド社:「日本海軍艦艇写真集 駆逐艦」 駆逐艦漣・舷外側面及上部平面図 歴史群像 太平洋戦史シリーズ18 「特型駆逐艦」 70「完全版特型駆逐艦」 丸スペシャルNo.101「ソロモン/ニューギニア作戦Ⅰ」

©2014.10.15 禁無断転載 図版の無断使用、加工等はお断りいたします。

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