top of page
特Ⅱ型資料編       

B型砲について わかっているようで実はよくわからない

 本来ならば7月中に浦波をフィニッシュまで持っていって、製作編を完結する予定だったのだけど、暑い。後は細かい部品を付けていくだけなのだが、精密工作なんてとてもできそうもなく、生きてるだけで精一杯である。

 ロクでもない野良モデラーじゃ、モチベーションを保つだけでも容易ではない。

 そういうわけで更新もすっかりさぼってしまっていたわけだが、製作編は今しばしお待ちいただいて、資料編をもう少し補完してみたい。今回はB型砲について。

 

 B型砲といえば、資料といい、パーツといい、今さらという感じで、見飽きた印象があるが、あらためて図を起こしてみると、案外わからない部分があることに気づく。既存の資料も細部では差異がある。サイズについても必ずしも明確ではない。

 

 「駆逐艦総ざらい」には各社のB型砲のパーツの写真が載っていて、親切なことにスケールが付いていて大きさがわかるようになっている。それはそれで有り難いのだけど、肝心の実物の大きさがどこにも書いてない。ピットのパーツと静協のパーツとでは、同じものとは思えないほど大きさが異なるのだが、結局どっちが正しいのか全くわからないのである。弾の重量なんかどうでもいいので、寸法載せてくれないかなあ、と思った方も多いのではないか。 ところが、この実際の大きさというのが、色々な資料をひっくり返してみても出てないのだね、これが。どうもほとんどの資料が、公式図に描かれた砲の大きさから大体の寸法を割り出しているようで、具体的な数字というのはどこにも出ていない。

 

 先日、某氏に見せていただいた資料の中に、石橋孝夫先生の「50口径3年式12.7cm連装砲B型」という一文があって、寸法のついた図が載せられていた。B型の数値ならば知りたい方も多かろうと思うので、下記の図にサイズを転記してみた。図は旧タイプのB型だが、換装後の盾も基本的な大きさは変わらないので同寸と考えても問題ないだろう。

 この数値を1/700にすると、タテ8.35ミリ・ヨコ6.28ミリが盾の大きさということになる。各々のパーツについては、ここでは言及しないが、なんかバカデカイなと思っていたピットの特型付属のパーツがそれほど的外れな大きさではなく、静協のパーツが思いのほか小さい、というのが意外であった。まあ、プロポーションの問題があるので、大きささえ合っていればいい、ということではないのだけれど。

 以前述べたが、B型の2・3番砲には補強フレームが付かない。ところが学研の「完全版 特型駆逐艦」のP25にある、昭和17年の「潮」の写真をよく見ると、2番砲に補強フレームが付いているのである。2番砲・3番砲にもフレームが追加されたのか?とも考えたのだが、昭和18年10月の「潮」の写真では、3番砲には明らかにフレームが付いていない。したがってフレームの追加装備があったとは考えにくい。

 B型の1番砲の防盾は昭和12〜13年に、さらに補強されたものに換装されたのだが、元の1番砲の盾は在庫品として保存された。

 思うにP25の2番砲は、何らかの事情により、在庫となった旧1番砲の盾を使用しているのではないか。 下側のフレームの前面に回り込む部分がカットされているようで、謎の多い写真である。

 ここの部分の形状解釈が、グランプリ出版の「日本の駆逐艦」と「図解 日本の駆逐艦」、「駆逐艦総ざらい」ではそれぞれ異なっている。写真をよく見てみよう。おそらく正解は「駆逐艦総ざらい」。

大戦後期のB型砲の不明点

 前出の写真でも確認できるが、18年以降の駆逐艦の特徴のひとつとして、艦橋から砲塔に伸びている伝声管がある。これは1番砲だけではなく、2・3番砲でも確認できるもので、さらに言えばB型砲だけではなく、A型、C型砲装備の各艦にも見られるものだ。

 艦橋から1番砲へは写真で確認できるのだが、2・3番砲への取り回しがどうもよくわからない。艦中央部をどのように通っているのか分かる写真がほとんど無いのである。とりあえず1番砲への伝声管は艦橋の左舷から、2・3番砲へは艦橋の右舷から、というのは各艦共通のようだ。

 機銃増備を再現した作例は見かけるが、この伝声管まで工作してある作品は見かけない。これから大戦後期の駆逐艦を作ってみようとお考えの方には、ぜひトライしていただきたい部分でもある。

 写真はⅠ型のマーキング編で取り上げた昭和18年の初春型(有明型)。後檣を中継点にして2・3番砲に伝声管が伸びているのが確認できる。伝声管の追加は特型だけのものではない。 ついでに少々脱線してこの写真をもう少し詳しく見てみよう。

 この写真は新版の「日本駆逐艦史」だけではなく、丸スペの「初春型・白露型」にも掲載されていて、丸スペでは表紙にもなっている。「日本駆逐艦史」よりも古い丸スペの写真のほうが、大きい上に細かいディティールも出ているので、こちらを見てみたい。 

 3番砲を拡大してみると、照準孔が左右のスライド式であることがわかる。また、照準孔の高さが低く砲身基部とほぼ等しい。さらには前面が曲面ではなくカドがついた段になっている。 これはB型砲ではなく、C型砲だ。

 初春型4艦の主砲はB型だが、有明型・白露型からはC型になる(夕立は除く)。戦時中に初春型がC型砲に換装していた、という衝撃の事実でもない限り、この写真の艦は有明型だろう。マーキング編では煙突記号から、この艦を「夕暮」と推定したが、外形的な特徴からも「初霜」という可能性はほとんどない、ということになる。

 写真はレビューでも使った「響」。この1番砲、よく見ると照準孔天面に装甲板か何か追加しているのか、形状が変化している。あるいは照準器関連の改造なのか。20年の初霜(着底した写真)の1番砲はこのような形にはなっていないので、「響」個艦の相違点なのかもしれない。この「響」は艦橋も少し変えているようだ。

 

 これらは一例でしかないが、砲塔に限らず、発射管や艦橋など、駆逐艦には戦訓により変更が加えられた部分が他にもいくつも有って、その実態はよくわかっていない。 このサイトが「開戦前後」を基準にしているのは、大戦後半にはあまりにも不明な点が多いからで、正直ちょっと手がでない。新たな資料が発掘されるか、素晴らしい研究が発表されるか、そんなことに期待するしかないのが実情だ。(2016.9.12初出)

bottom of page