●上部艦橋の構造変化 ●測距儀に関して
艦橋
上部艦橋はガラス窓
特Ⅰ型の上部艦橋は、ソフトトップに前面と側面は折り畳み式の遮風板という構造だったが、昭和11年後半から遮風板がガラス窓(遮風窓)に変更されている。横に桟の入った2分割の窓にする計画もあったようだが(白雲断面図)、最終的に羅針艦橋同様の引き下げ式構造を持つ一枚の窓になっている(白雲舷外側面図および性能改善後の吹雪の写真参照)。
これに関しては文書(官房機密第5021号 C05034904100)が残っていて、特Ⅰ型および改Ⅰ型はすべてこの形に改められたことがわかる。同文書によると、変更の理由は、航海中の遮風板の開閉が危険であるのと、射撃時に電話が聴き取りにくいため、となっている。
この文書には本来、付図(薄雲)があったはずなのだが、現在は不明。そのため詳しい寸法や構造はよくわからないのだが、吹雪の写真や白雲舷外側面図でみるかぎりでは羅針艦橋の窓と同じ大きさのようだ。
また初雪の改善前・後の平面図を比べてみると、改造後の上部艦橋平面は前部が左右に広がっている。
初雪は上部艦橋前面に
従羅針儀が付く
特1型の30センチ信号灯は
開戦前(おそらく昭和15年頃)
廃止されたとみられる。
初雪、叢雲、深雪、浦波は
航海灯の位置が異なる
吹雪の上部艦橋は前方に空力的な整形カバー(?)が付く。これは竣工時からあるもので、吹雪のみの装備。遮風窓化する前は、このカバーの上に遮風装置が付いていた。
Ⅰ型の羅針艦橋左右の張り出し部は、竣工時はソフトトップの窓なしであったが、ハードトップのガラス窓付きに変更された(昭和8年位から)。ただ、それも艦によって様々で、深雪は竣工時からハードトップ(角形)の窓付き。吹雪は昭和15年でもソフトトップであるように見える写真があるので、この部分は開放のまま戦没した可能性がある。
艦橋に関連して測距儀についていくつか。
●風除けは標準装備
模型の作例や図で測距儀に風除けがついていないものがあるが、基本的に風除けがないのは竣工時または引き渡し直後のごく限られた時期だけ。この件については「14式2米測距儀に風除及防熱装置の件」 (C04016264400)という文書が残っていて、測距儀に関しては、艦橋上も艦中央部も、風除け付きが標準であることがわかっている。公式図に風除けが書き込まれていないことから、風除けなしという誤解が生じているようだが、実際に写真をみてみると風除けなしの例はほとんどない。
●3メートルに換装か?
Ⅱ型は開戦前(15年頃)に艦橋上の測距儀を2米から3米に換装しているが、Ⅰ型については不明。3米であったとする資料(要目表)もあるのだが、文書なり図なり写真なりで実際に確認できるものは今の所無いのが実情だ。白雪の最終時の写真では艦橋上の測距儀が確認できるが、これが2米にしては長いし、3米にしては短いような、なんとも悩ましい画なのである。
●測距儀は白塗装?
これは以前から思っていることなのだが、昭和期の駆逐艦(夕雲型まで)の測距儀は、ほとんどの写真で白く塗られていないだろうか?ここで言う測距儀とは支持架とか風除けを含まない、ようするに横棒の部分のこと。カバーがかけられていたり、明らかに暗色だったりする写真も無いではないが、白色の写真が大部分だ。例えば陽炎型の雪風は戦前に2枚、戦後に何枚かの写真があるが、このどれでも測距儀が白く見える。戦前の写真は反射で明色に見えているだけだと言われるかもしれないが、戦後の写真は明らかに白塗装だ。戦後にわざわざ塗装し直すとも思えないので、戦時中も白く塗られていたのでは、と考えるのが自然ではないだろうか。白塗装の理由はおそらく防暑防熱だろうが、なぜ駆逐艦(小艦艇)だけなのか?謎だ。
※昭和17年に18戦隊の天龍と龍田が艦首尾に欺瞞波を描いた際、測距儀と弾薬箱を白く塗装したことを示す書類が存在するので、必ずしも小艦艇のみ、ということではないようだ。
艦橋編参考資料
アジア歴史資料センター:第5021号 11.3.18 駆逐艦白雪.初雪.白雲.叢雲.薄雲上部艦橋遮風窓新設の件【 レファレンスコード 】C05034904100 14式2米測距儀に風除及防熱装置の件【 レファレンスコード 】C0401626440 グランプリ出版:『軍艦メカニズム図鑑 - 日本の駆逐艦』 光人社:図解・日本の駆逐艦 ハンディ判日本海軍艦艇写真集16巻/駆逐艦 吹雪型[特型]